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読書のすすめ

[大学生のための入門編]

 

橋本努

200704version

 


 

■青春について考える

奥井理(おくい・みがく)著『19歳の叫び』北海道新聞社[1998]\1,600-

 

19歳で他界した札幌出身の青年、奥井みがく氏の絵画と詩と日記。青春のすばらしさとは、こういうことではないか。魂を洗われるような思いがする。「絶対つまらない感情に負けることなく/自分がもつ本来の潜在能力を信じて/へばりつけ!/ぼくは人を信じたり尊敬したくない。/自分の潜在能力と自然をつねに信じ/自然の中に根をおろす大木のように/一度決めたら/その場所に死ぬまで張り付き しがみ付き/誰に何をされようとも/生き残ることだけを考え/目先の欲や感情に流されず/ただひたすら生き残ることだけを考えて/現実社会という大地にへばりつきたい。」絵もいいが、詩もいい。ひたすら真摯な生き方が伝わってくる。

 

 

中井三好著『知里幸恵 十九歳の遺言』彩流社[1991]\1,700-

 

心臓病を患ってわずか十九歳で他界した知里幸恵(1903-1922)。彼女の日本語訳による『アイヌ神謡集』(岩波文庫)は、アイヌモシリの崇高な精神を伝える珠玉の作品だ。「銀の滴降る降るまはりに、金の滴降る降るまはりに。」いったい、どうしてこんな偉業が18歳の少女によって成し遂げられたのか。本書は、知里幸恵さんの日記やノートを紹介しながら綴られた伝記。美しい魂、アイヌが生んだ至宝を伝える感動の一冊だ。

 

 

神舘和典著『上原ひろみ サマーレインの彼方』幻冬舎[2005]\1,429-

 

100年に一度の才能と言われるジャズ・ピアニスト、上原ひろみの音楽活動を伝えるルポルタージュ。高校生にしてチック・コリアと競演。しかもバークレー音楽院在籍時に若干24歳にして出したファーストアルバムは、20万枚のメガヒット。彼女の音楽魂は、ただものではない。疾風怒濤のリズムに酔いしれ、叫びたくなる、そういう気持ちを押さえるのが精一杯だ。上原ひろみの信条は、「努力、根性、気合」。まるで高校球児の人生論のようだが、そこから独創的な音楽が紡ぎ出される。才能をみがくための努力を、彼女に見習いたい。

 

 

谷川俊太郎著『十八歳』集英社文庫

 

谷川俊太郎(1931-)が一八歳を向かえたのは1949年。その頃に書かれた詩作のノートである。「いろいろな外国の書物や/古い壁画などから/透明な感動を着て出てくることは/ひとつの冷たい努力である」「音がある/まったくの沈黙のうちにも/わたくしのあたまに音がある/かつての音とまじり合う/ささやきのような音がある」。人生への畏れ、自信、喜び、悲しみ、そしてみずみずしい感性の発露があり、自分でも詩を作ってみようかという気にさせられる。1949年にしては、どこかアッケラカンとした谷川の感性は、現代の若者にも多くの共感を得るのではないか。

 

 

岡本太郎著『自分の中に毒を持て』青春文庫[1988]

 

 20世紀の日本を代表する前衛芸術家、岡本太郎(1911-1996)氏が若き人々のために残した、衝撃の青春入門だ。一つ一つの言葉に爆弾がつまっている。「常識人間」をやめて、自分の生き方を変えるための、最高の起爆剤となるだろう。インテリ夫婦の元に生まれた太郎は、小学生のころはいじめられっ子だった。大学へは進学せずに、画家を目指して一人パリに渡り、ピカソやバタイユなどと交流。そして「危険な道を運命として選ぶ決意」をしたのは、25歳のときだった。「夢に賭けても成功しないかもしれない。」「パーセンテージの問題で言えば、99%以上が成功しないだろう。しかし、挑戦した上での不成功者と、挑戦を避けたままの不成功者とではまったく天地のへだたりがある。」人生、ダメでもともとなのだ。そう思うと、逆に力がわいてくる。人生指南。多いに共感。

 

 

佐高信著『青春読書ノート 大学時代に何を学んだか』講談社文庫

 

 佐高信さんは慶応大学法学部卒業後、いったん郷里の高校教師となった後に経済誌の編集者を経て、現在は評論家として活躍中。本書は、彼が大学時代の四年間に綴りつづけた読書ノートで、青春の息吹と苦悩、エネルギーと情熱がストレートに伝わってくる。四年間で読破した本はなんと470冊! 大学時代を「自我確立以前/ほんものの思想を求めて/問題の発見/モラトリアムの終わりを前に」の四つの時期に区切り、あらゆる種類の人文書をめったぎりに読み倒した経緯が、生々しく記されている。「四月二〇日〜五月一六日/長期にわたって読みつづけた、ある時は電車のなかで、また、ある時は、喫茶店で、そして五月十六日に寮の一室で静かに読み終えた。……」私は本書にかなり圧倒された。

 

 

高野悦子著『二十歳の原点』新潮文庫

 

 立命館大学の女学生、高野悦子の日記。高校生のときに書かれた日記も出版されているが、大学生にして自殺するに至るまでの思索の軌跡がすばらしい。私は本書を読んで、胸が詰まった。そして「青春をいかに生きるべきか」を考えるための、思考の手本を与えられたような気がする。二十歳という年齢はいったい、人生のなかでどういう意味をもつのか。この時期にしか分からない、実存の問題というものがある。それをやはり、二十歳前後に味わっておきたい。

 

 

So Nice, Kei KobayashiCD

 

 これは本ではないが、日本を代表する男性ジャズ・ボーカル、小林桂(Kei Kobayashi)のファーストアルバムをご紹介したい。彼が19歳のときの録音で、すでに大人のジャズの世界を知り尽くしたような、そんな貫禄がある。人生をひとサイクル歩み終えてしまわないと、こういった渋みのある声は出ないように思われるのだけれども、いずれにせよ私が19歳のときと比べると、はるかに先を走っている。彼はどこにでもいそうな若者のようで、才能よりも、人生の経験量が違うのではないか。この経験量が心を揺さぶる。ただ、矢継ぎ早に出された彼のセカンドアルバムは、少し作りが劣るので注意。

 

 

 

■ 大学生活論

北海道大学生活協同組合学生組織委員会編『北大生の生活』

 

毎年出版されているので、手にとってほしい。北大生の熱気が伝わってくる。

 

 

 

■ 高校生レベルの教材

 大学に入っても必要となるのが、高校レベルの参考書。例えば、小論文や政治・経済や倫理や現代文などの上級参考書は、「大学生のための教養書」と呼ぶにふさわしい。

 

大学生になってから高校レベルの勉強をするというのは、ちょっと気恥ずかしいかもしれない。しかし私の場合も、恥ずかしながら大学生になってから、このレベルの勉強に独学でとりくんだ。その効果はかなりあったように思う。高校生向けの参考書は、教材としても情報量としても、かなり充実している。繰り返して勉強する価値がある。逆に言えば、大学一年生のための教養書としてすぐれた本は、この社会にはほとんどない。大学一年生は、この驚くべき落差に、遅かれ早かれ気づくであろう。

 

おそらく多くの人々は、大学に入ってからはじめて、高校レベルの参考書の真価に気づくのではないか。人は、他人に教えることができたときに、それを「理解した」と感じるものである。大学生であれば、高校生に対して何か自信をもって教えることのできる知識を持つことが、一つの目標となる。大学生にとって、身近な目標となる教養人は、高校や予備校の先生たちである。以下に、参考書をいくつか挙げておきたい。

 

 

□ 小論文

『代々木ゼミナール 新小論文ノート』

 

毎年出版されている。この分野のバイブルで、私も大学に入ってからこれを使って勉強した。入試問題とその解説なので、解答例と解説を参考にしながら、毎週一問ずつ、自分で小論文を書いてみるというのはどうだろうか。

 

 

□ 政治経済と倫理

『チャート式 政治経済』

『チャート式 倫理』

『倫理資料集』山川出版

『倫理思想用語辞典』山川出版

『日本の論点』文芸春秋(毎年刊行)

 

 こういう本を紹介するのは、やはり気がひける。けれどもこれらの本は、さまざまな知識を得たのちに再読してみると、改めて得るところが多い。私は、「倫理」という科目を高校時代に学ばなかったけれども、大学一年生の人文系教養というのは、だいたいこの「倫理」の内容に沿っている。

 

大学生の時分には、まだ「名著」と呼ばれる本を読むには読書力が足りず、しかし入門書や話題の書を読んでも、あとになってみると心に残らない本ばかり。少なくとも私はそうだった。種々雑多なものを濫読してみないと、良書には出会わない。だからそれまでは、手当たり次第に読みながらも、基礎的な事柄や概念について、思索を重ねていく必要がある。思索と思考の力が伸びてこそ、名著の有り難味が分かってくる。そしてようやく人生にとって、掛替えのない本との出会いが訪れる。だからまず、辞典・事典類を座右に置いて、自由な思索の生活に時間を割きたい。『政治学事典』や『現代倫理学事典』(いずれも弘文堂)も、座右の書ならぬ、メインの書物となる。

 

 

□ その他

『世界地図帳』

『国語便覧』

 

 およそニュースや書物には、世界各国の都市名が多く出てくる。しかしその都市の位置や気候、風土や社会について一応の知識がないと、ニュースを聞いても「へぇー」という感想しか言えないのがさみしい。その土地の人々について想像力が働かないと、興味もわかない。結果として国際ニュースや小説の面白みを挫いてしまうというのでは、残念なことだ。私は学部生の頃に、世界各国を旅することで、思わぬ方向に知的関心を広げていったように思う。そしてまだ訪れたことのない地域については、地図帳を眺めて大いに想像力を逞しくした。本を面白く読むためには、やはり地図帳が欠かせない。

 

 国語便覧もまた、眺めているうちに、いろいろな関心を掻き立てられる。高校生の参考書にしては、もったいないほど豊かな情報量である。後になってからそのよさが分かるようになる。そんな本を、手元に多く置きたい。

 

 

■ 読書術

立花隆『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』文芸春秋[2001]

 

頼りになる一冊である。この本の中で紹介されている様々な本を、手当たり次第に読んでみたい気にさせられる。また、収録されているエッセイ「序 宇宙・人類・書物」と「『「捨てる!」技術』を一刀両断する」は、一読する価値がある。

 

「私は書物というのは、万人の大学だと思っている。どの大学に入ろうと、人が大学で学べることは量的にも質的にもごく少ない。大学でも、大学を出てからでも、何事かを学ぼうと思ったら、人は結局、本を読むしかないのである。大学を出ようと出まいと、生涯書物という大学に通いつづけなければ、何事も学べない。」

 

 

 

■ 「読書のすすめ」の難しさについて

 私が大学一年生の頃は、村上春樹やヘッセなどを読んで、大いに共感するところがあった。しかしいまから振りかえってみると、これらの書物は、はたして現在の自分の血となり肉となったのかといえば、怪しい。面白い本、あるいは、そのときの自分の感受性に合った本は、奨められなくても各自で読めばいいのであって、私ももし「村上春樹を読め」と誰かに勧められたら、かえって読まなかっただろう。本を奨められると、私はむしろ別の本を読みたくなる。だから他人に本を奨めるというのは、とても難しい。

 

もし本気で読書をすすめるのであれば、「いかにして現在の自分に合った本を、死に物狂いになって探すか」という、本を探す技術をこそ、伝えるべきではないか。私は大学一年生向けの演習で、「古本屋めぐり」のレポートを課すことがある。古本の価値について、鑑定団のような眼を持ってほしいと思うからである。良書を探す技法については、別の機会に述べたい。

 

 一つ、大学生にふさわしいのは、入門/中級/上級の本を順番に読むのではなく、はじめから混合させて読む、ということだ。入門書を少しかじったら、内容を理解できなくても、どんどん先のレベルにすすんでほしい。そしてまた、入門書に戻ってきてほしい。読書は波のようにすすめる。これが先人たちの知恵だ。